普段ひとりで生活している私は、基本的にお食事はひとりでとっています。
仕事が変わって環境になじめず、また非常に厳しい会社にお勤めしていたので、精神的にも体力的にも疲弊していて休日もお出かけ出来ずに数か月経った頃…
たまたまお誘いを受けて久しぶりに友人とお食事に出かけました。
そのお食事の、おいしかったこと!
誰かと食べるお食事ってこんなにおいしくて幸せなんだ!と、感じました。
もちろん、準備しなくて良いうえに片付けもしなくて良いという贅沢を許されているというのもありますがそれ以上に、人と話ながら一緒に食事をする時間が、何よりも大切なんだと感じました。
大切な人と食べるご飯
一緒に食べると幸せ

一緒にご飯を食べるということは、お互いの絆を強めることです。
仲間意識が出来るだけでなく、共に助け合って生きていける存在になります。
「食」を共にすることで絆を育んでいくのは、人間らしい生活の大事な要素といえます。
自分にとって、相手にとって大切な人であればあるほど、一緒にお食事をとることをオススメします。
みなさんも経験があるかもしれないですが、苦手意識の強い人と一緒に食事をしても、おいしく感じられないものです。
自分にとって大切な人との食事だからこそ、おいしいと感じて幸せを感じながら食事が出来るんですよね。
おなかと気持ちが満たされる大切な人との食事の時間、意識的にとっていきませんか?
美味しいねと笑顔になるから幸せ

料理がおいしいのは、
美味しそうに食べる人が目の前にいるからだったり、
「おいしいね」と笑顔で言い合って食べられるからだったり、
心を許した相手との時間だからよりおいしく感じられたり、
理由は様々です。
「おいしいね」と思わず笑顔になれるような料理の味はもちろん、お店の雰囲気や一緒に食事をする相手との関係といったことも、大いに関係があります。
見ている方が思わず幸せな気分になるようなとろけるような笑顔で「おいしいね~!」と言われたら、ちょっと味が好みじゃないなと感じていたとしても、突然おいしく感じられるから不思議。
食が運ぶのは、味だけじゃなくて幸せな気持ちなんですよね。
そしてその幸せな気持ちは伝染するのです。
なので、仏頂面でお食事するより、笑顔でお食事した方が自分自身もそうですし、一緒にお食事している人もおいしいごはんで幸せな時間になりますよ。
ゆったりとした気分で食べるから幸せ

ひとりで食事をとることを「孤食」もしくは「個食」といいますが、なんとなく殺伐とした気分で食べるように思います。
私は小さいころから食事中にテレビをつけることを禁止されて育ってきたので食事中はテレビを消していますが、そうすると家でひとりで食事をするときは、ただ黙々と食べることになるんですよね。
食べながら食事の後の段取りを考えていたりいろいろ考え事をしていたりして、とてもじゃないですがゆったりとした気分ではお食事できないんです。
それが、人と一緒にお食事となると、ごはんもゆったりとした気分で食べられます。
時間をかけてゆったりとした気分で食べることで、とても優雅な時間を過ごしている気分になりますね。
だからこそ、幸せを感じられやすいということもあります。
味覚は脳が感じる総合感覚
同じものを食べても味が違う

以前お勤めしていた会社の取引先の方がとても仕事に厳しい方で、普段から厳しいことを要求してくる方でした。
いつも応えてくれているからと、稀にホテルのラウンジでケーキセットをご馳走してくれることがあったんです。
その方は、普段いろいろと無理を言っていることを承知されていたので、労いの意味を込めてごちそうしてくれていたんです。
スイーツ大好きな私ですが、その方に呼び出されてラウンジに出かけて行ってもケーキの味を全く感じられなかったのをよく覚えています。
とてもおいしいと評判のホテルのケーキだったんですが、今でもあんなに味のしないケーキを食べる経験というのはその方と同席しているとき以外にはなかったです。
味覚というものは不思議なもので、同じものを食べてもどれだけおいしいものを食べても、その時の精神状態や状況によっては味が全然変わってくるんですね。
不安が大きいと味がわからなくなる

味覚障害を専門とされている東北大学名誉教授の笹野高嗣氏によると味覚障害の治療は、生活習慣まで入り込まないとできないといいます。
ひとりで生活されている高齢者の方の中には、味がしないと先生を頼る方がいるそうなんです。
「味がしない」「わからない」と言って診察に訪れた方に味覚検査をしても、正常だったりすることが多いそうです。
味を感じられなくさせているのは、心に抱えている不安であったり、睡眠不足や生活習慣の乱れだったりするそうです。
特に心に大きな不安を抱えている人ほど、味がわからなくなりがちだとか。
そういえば私も、少し前まで食事をしても味を感じることなく、ただただ咀嚼して飲み込むだけの毎日になってしまっていました…。
精神的に余力がなくなって、味わう精神状態ではなくなっていたんですね。
味覚だけが味覚ではない

舌で味を感じるんですが、それだけが味覚ではないといいます。
そういわれて思い出したのが、小学生のころ給食の時間に嫌いなものもどうしても食べなければいけなくて、鼻をつまんで食べている子がいました。
そうすると不思議と食べられるんだと言っていましたが、あれもそうですね。
キライなニオイを感じなくすることによって、味をわからなくしていたんですね。
風邪をひいたり花粉症だったりで鼻が詰まっているときも、味ってわかりませんよね。
おいしそうに盛り付けられている料理はとてもおいしく感じますし、ぐちゃぐちゃにお皿にのせられている料理はあまりおいしく感じられないものです。
キンキンに冷やしたビールも、紙コップで飲むのとジョッキで飲むのとでは、ジョッキで飲むビールの方が断然おいしいものです。
「味わう」ということは、五感すべてで味わっているんですね。
誰かと一緒がいい理由
孤食が心に与える影響

核家族化が進み、みんな仕事や用事に忙しく、なかなか家族そろってお食事をとるということが減っているそうです。
本当はみんなで一緒に食べたいのに…と思いながら食事をしていると、心にも悪影響を与えるのだそうです。
「誰かと一緒に食べたい」と思う気持ちと、それが満たされないことによる不安で、よりさみしさを大きくしてしまって、心の健康に悪い影響を与えるんです。
もちろん、ひとりが気が楽だわと思って食事をされている方もいるとは思いますが、本当はみんなと食べたいのに…と思いながらひとりで食事をするということは、かなりさみしいものですよね。
「誰かのために」と作ること

自分のためだけの食事にも気合を入れられる人もいるかもしれませんが、多くの人はそうではないと思います。
今日は自分だけだから適当にしようかななんて思うこともあるんじゃないでしょうか?
かくいう私も、自分一人の時はタッパーのまま食事をとったり、冷蔵庫の中にあったもので適当に済ませてしまったりすることもあります。
彼クンが来てくれるときは、やっぱり少しは気合をいれて食事を作ります。
美味しいご飯を食べてもらいたいという気持ちからです。
誰かのためにと思って作る食事は、思いやりの気持ちのこもった食事です。
人のために作った食事ほど、おいしいものはありません。
そうやって作った料理を一緒にわかちあうからこそ、絆がさらに深まります。
大切な人相手だからこそ頑張って作り、喜んで食べてもらいたいと思うものです。
それが「ごちそうさま」

「ごちそうさま」を漢字で書くと、「御馳走様」ですね。
「馳走」に御と様が付いた言葉が「ごちそうさま」だということがわかります。
「馳走」とは、人のために何かしてあげようと功徳を施すことをいいます。
仏教での言葉が由来だそうです。
「ごちそう」は豪華な食事のことをさすのではなく、元々は誰かのために奔走したその行為そのもののことを指すのだそうです。
人のために尽くして喜んでもらえるから幸せ、自分のために頑張って作ってもらえたからより幸せ、食事はそうやって幸せのやりとりをするものなんですね。
だから、「ごちそうさまでした」も大切な言葉なんですね。
まとめ
前述した笹野高嗣教授が「家族や友人たちと談話しながら楽しく食べることも食育」であるといわれていました。
食事の時間をゆったりとした気分でゆとりのある食事の時間を確保して、家族や友人と一緒にとることで、人はより幸せになれるんですね。
私はなかなか誰かと食事というチャンスを作ることが少ないんですが、少ないなりにも、誰かとの食事の機会を作ることを心がけていきたいなと改めて感じます。
大切な人と食べるご飯の効能
- 一緒に食べるから幸せ
- 美味しいねと笑顔になるから幸せ
- ゆったりとした気分で食べるから幸せ
味覚は脳が感じる総合感覚
- 同じものを食べても味は違う
- 不安が大きいと味がわからなくなる
- 味覚だけが味覚ではない
誰かと一緒に食事をするのがいい理由
- 孤食はあまり良い影響を心に与えない
- 「誰かのために」と作ることが大切
- それが「ごちそうさま」ということ
すれ違いが多い家族や友人同士でも、週に1回、月に1回と人時間を決めて、一緒に食事をするように心がけてみませんか?
何かが変わってくるかもしれませんよ☆